マナブBの話
こんにちは。
本日は、小学校時代の同級生「マナブB」くんの話をしたいと思います。
今思い出すと、マナブBとは小学校1年から6年までずっと同じクラスだった気がします。
マナブBは、丸坊主で色白、くりくりの大きい目をした背の小さいやせっぽっちの男の子。
とても明るくてひょうきん者、すごく面白い子でした。
マナブBのあだ名の由来
なぜ、マナブのあとにBがつくのか。
それは、4年生の時から始まりました。3年生までは、みんな「マナブ」と呼んでいました。
4年生になった時、転校生が来たのです。
その子の名前が、「マナブ」くん。
当時担任だった先生(素晴らしい先生)が、マナブが2人になったからということで、転校生にマナブA、そして古株マナブにはBをつけたのです。
私達にはそれが、本当にそれがピッタリしっくり来たのを覚えています。まるで昔からそう呼んでいたように、すぐにみんなに浸透していきました。
転校生のマナブAは医者の息子でものすごいハンサム、運動神経抜群な上に成績も優秀。性格も良くて、庭に噴水があるゴージャスな家に住んでいました。
それとは対象的に、マナブBは父子家庭でアパート暮らし、面白いけど勉強は出来ないタイプ。
最終的には「マナブ」が省略されて、みんな「A」「B」と呼ぶようになっていきました。
マナブBの一人劇場
「B」がたまに昼休みにやってくれる「マナブBの一人劇場」が、私達(女子5−6人)は大好きでした。
すごくくだらないのですが、その頃はホントにお腹がよじれるほど笑っていました。
お昼の給食が終わると、昼休みの後の掃除のために、全員机と椅子を教室の後ろへ下げてから昼休みに入ります。
机と椅子を下げると、教室の半分くらいは空いたスペースとなります。
その空いたスペースに椅子ひとつを置いて、その椅子に「B」が座るところから劇場がスタート。
いつも内容は同じ。美人OLとエロ社長。その2役をこなしながら、最後は必ず「社長やめてください〜あ〜ん。」となって終わります。本当にくだらないけど、丸坊主の「B」がやるのがまた面白かったんです。
よく「B!今日の昼休み一人劇場やってよー」と、みんなでお願いしていたのが懐かしいな。
父子家庭のマナブBと母子家庭の私
私が住んでいた町では、定期的に父子家庭・母子家庭の子どもたちのために、イベントをしてくれていました。
そのため学校の友達は知らないけど、実はそんなイベント時は一緒に遊ぶこともありました。
私はひとりっ子だけど、マナブBはお兄ちゃんと妹がいる3人兄弟。
父子家庭ですが、お父さんの姿は一度も見たことがありませんでした。複雑な家庭環境だったのかもしれません。
「B」のおばあちゃんが、3人の子供を育てていたと思います。おばあちゃんはいつもみかけていたので。
体と声の大きい、東北っぽいしゃべり方をするおばあちゃん。
そんなわけで、学校の友達だけどマナブBは少し特別な、なんだか身近な感じがしていました。
ただ、ひとつ、子供ながらになんだか切なくなった光景を覚えています。
それは、3年生の時。授業中、しばしばマナブBが居眠りをしているのを見かけることがありました。
高校時代はあえて授業中寝たりするけど、小学生で居眠りするって普通じゃない気がしませんか?
子供でしたが「なんだか家が大変なのかな?」と、ちょっと心配に思いました。だからといって、それを本人に聞くことはなかったし、ましてや先生や友達に言うこともなかったのですが。
中学生になりました
中学に入ると、「B」はだんだんと悪くなっていきました。お兄ちゃんの影響でしょうか?
地元を牛耳る大きな暴走族に入っていたようです。
その頃の「B」口癖は「テレカちょーだい!」「ガムもってる?」「アメちょーだい」でした。
その時代、使用済みのテレフォンカードのパンチ穴に、謎の銀のテープを貼って再利用する非合法な売買がとても流行っていたんです。
よく外人やチンピラみたいな人が10枚1000円とかで再生テレカを売っていて、私も買ったことがあります。
多分使用済みテレカを集めて、悪い先輩に渡していたんだと思います。
ガムやアメは、学校でタバコが吸えないから口寂しかったんだろうな。制服からはいつのタバコのニオイがしていました。
学校には来たり来なかったり。それでも、無事にみんなで一緒に卒業することが出来ました。
高校にもちゃんと入学しました
「B」は地元のヤンキー高へ入学しました。私の悪友「Aちゃん」と同じ高校です。
その後、どうなったのかはわかりません。ちゃんと高校は卒業出来たのかな。
もし今の時代だったら、吉本興業とかに入ってお笑いを目指したら活躍したのでは?と思ったりします。本当に明るくてひょうきんで、性格の良いお調子者だったから。
大人になってから
それから十数年後、なんと東京駅のホームでばったり再会。
「あれ?ちのたん?おまえなにやってんの?」と声をかけられて振り向くと、そこには「B」がいました。
やせっぽっちなのは変わらないけど、いっちょ前にスーツを着ていました。
サラリーマンのおしゃれスーツではなくて、チンピラが着ていそうなダブル?っていうのかな、そんなスーツ。
東京始発の電車待ちだったので、しばらく昔話をしました。
「あの頃よぉ〜先生が俺を「B」にしただろ?なんで、俺が「B」なんだよって実はムカついてたんだ〜俺のが先にいるのにって」と、笑いながら話してくれました。
当時、お調子者の「B」は実はそんなことを思っていたんだね。
そして、「これ見てよ〜」と手を見せると、そこには小指がありませんでした。
「なにこれ?どうしたの?」と聞くと、「手下がヘマやらかした」とちょっと自慢げに教えてくれました。
あともう一つ、「マーいただろ(マーという普通の男の子)?俺が鑑別所に入ってた時、マーが手紙くれててさ。すげー嬉しかった。」と。マーと「B」はそんなに仲が良かったイメージはないけど、そうなんだ。私は「B」が鑑別所に入ってたことすら知らなかったよ。ごめん。
さいごに
今頃どうしているのかな。ちゃんとまともになったかな。結婚してあったかい家庭を持って、幸せに暮らしているといいな。と心から思います。
恋愛感情は皆無でしたが、「B」は友達としておもしろくて大好きでした。
またいつか、会えたら良いな。
どうしようもない思い出話にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
では、また!